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低く、毅然とした、しかし暖かさのある声。その声は、カンディンスキー展の、ある絵のの前で聞こえてきた。
「この絵は何に見えるかな?お花が咲いてるようにも見えるねぇ。でも、人がたくさん、槍をもって立ってるようにも見えるねぇ。」
声のするほうを見ると、小学校一、二年生くらいの男の子を連れた夫婦がいた。親子連れなのだろうか、祖父母と孫なのだろうか。判断が難しかった。
話しているのは、母親か祖母だと思われる女性。彼女は、男の子と手をつなぎ、絵の前に立っていた。男の子を真ん中にして、反対側には彼女の夫らしき男性。彼女は、その暖かい声で、男の子に語りかけ続けた。
「りょうの見たいように見ていいんだよ。りょうには何に見えるかなぁ?」
私からその男の子の表情は見えなかったが、語りかけられる言葉に耳を澄ませながら、絵をじっと見ている風であった。次は男性の方が言った。
「この下のほうのは何に見える?」
男性が指差す先には、黒っぽく青っぽい、五角形に近いようなかたまりが描かれていた。聞かれた男の子、りょうくんと言うのであろう、は言った。
「うーん。何かなぁ。」
はっきりした口調。それが何なのかを考えながら言っているのが明らかなトーン。りょうくんが考えるのと一緒に、私も考えた。そして、まわりにいる大人たちも、絵の同じ部分を見つめていた。…動物?じっと見ていると、何か四足の動物が、首を後ろにまわして、後ろ足をくわえているか、舐めているかの様に見えてきた。と思った瞬間、りょうくんが言った。
「あ!犬かなぁ。」
りょうくんの傍らの女性は言った。
「そうだねぇ。犬みたいに見えるねぇ。」
彼らが次の絵に移っていくと、私は後を追って彼らの会話の続きを聞かずにはいられなかった。その女性は、その柔らかく低い声で、りょうくんに語りかけていた。
「赤がきれいだねぇ。青もきれいだねぇ。りょうはどんな青が好き?」
りょうくんは、ちょっと考えてから口を開いた。
「んー、やっぱり、うすいのがいいなぁ。」
りょうくんは、ちょっと姿勢を変え、女性の顔を見ながら答えた。それまで見えなかった彼の顔が、私からも見えるところにあった。はっきりした光を放つ、賢そうな目。意思の強そうな、しっかりした眉。たった七、八歳そこそこの彼は、カンディンスキーに囲まれたその場所で、自分がどこにいるのか知っている、一人の人間の顔をしていた。
私は周りを見まわした。私は迷子になってはいないだろうか。どうも、自分自身は迷子であるような気がしていた。どの絵を見ても、何を思っていいのかわからなかった。自分がその絵を見て何を感じているのか、わからなかった。なんだかわからないまま、手探りで行くしかなかった。
美術館の中を歩いているだけなのに、涙が出そうになりながら、少しずつ、展示室を進んでいった。
しばらく行った先の部屋に入ると、大きな、すごく大きな絵が二枚かけられていた。部屋の途中までおそるおそる進む。
すると、その絵から音楽が聞こえてきた。
人のざわめき以外、そこには音はなかった。
だか、その絵からは音楽が流れ出ていた。
私は、確かにそこにいた。
メモ1: インプロヴィゼーション2
メモ2: コンポジション7